GIドキュメント

▲ローテーションの常識を覆したグランアレグリア、サートゥルナーリア、アーモンドアイ


クラシック戦線の予想で重要となるローテーション。ステップを踏んで本番に臨む王道ローテがあれば、前哨戦を使わずに休み明けで本番に臨む馬、前哨戦ではないレースを使ってくる馬、路線変更して変則二冠を目指す馬など様々。

しかし、ここにきてその常識に明らかな変化が見えてきている。NHKマイルCに出走するグランアレグリアは昨年の朝日杯FSから桜花賞を、サートゥルナーリアは暮れのホープフルSから皐月賞をそれぞれ勝利。ドバイターフで海外GIを制したアーモンドアイも、ジャパンCからのローテだ。

かつてなら懸念された「直行」が成功しているのはなぜなのか? 外厩施設の充実などの事情も含め、ローテーションの考えの移り変わりを須田鷹雄氏が分析する。


時代で変化する、調教とローテーションの常識


 年明け緒戦の馬が桜花賞・皐月賞を制したことで、ファンの間には驚きや動揺も広がった。なにしろその結果として本稿の依頼が来るほどである。

 慣れ親しんでいたものが変わるときに困惑が伴うことはいたし方ないことではあるが、まず最初に、「目標と手段」について整理すれば全体像が分かりやすくなるのではないだろうか。

 目標が大レースにおける優勝であるならば、そこに至るレースは目標達成確率を高めるための手段となる。この場合、ステップレースには良い面も悪い面もある。良い面はレース経験によって馬のメンタル面に上積みがあることなど。悪い面は故障リスクや、想像以上に疲労を残してしまう可能性などだ。

 仮に目標が獲得賞金の最大化なら、GII以下にも手厚いJRAの賞金体系だけに「使うことのリスクリターン」についてまた別な解釈が可能になる。しかしリアルにGIに手が届く馬ならば、目標は大レース勝ち、それ以外のすべてはそこへ向けての手段ということになるのは不自然なことではない。

 もうひとつ考えなくてはならないのが「調教・調整」と「ローテーション」は切り離して考えられるものではないということだ。

 ステップレースも馬券は売っているわけだからこんなことを書くと怒られるかもしれないが、大レースに向かう途中という風に考えると、それ自体「調教・調整」でもある。そして、そこだけを切り取ってレース間の調教・調整と別個に考えることは正しい議論ではない。

 さらに、調教に関する常識もローテーションに関する常識も、時代によって変わる。戦前の日本ではレース当日も調教をやっていたし、当日の故障で勝てるはずの日本ダービーに出られなかった馬もいた(1934年ミラクルユートピア)。

 1968年の皐月賞・ダービーでともに2着だったタケシバオーは、2歳時にデビュー8戦目で朝日杯を制し、そのまま休まず明け3歳の6戦目で皐月賞、さらにNHK杯を挟んで8戦目(デビュー16戦目)でダービーに出走した。それぞれ当時は特に違和感ない調整やローテとして、そのような選択がなされていたわけである。

「ぶっつけ」の不安、フィジカル面では圧倒的に軽減


 馬を作っていくうえでの施設や知見が充実してきているということも、議論するうえで組み込まねばならない要素だ。トレセンと同レベルの負荷をかけられる施設がトレセン外に出来ているし、乳酸値やハートレートモニターのようにかつては見えなかったものを可視化するツールも出てきた。それらが有る前提と無い前提では、ローテーションのあり方は当然変わる。

 ノーザンファームがおこなう外厩主導の使い方に注目が集まっているが、昭和の終わりにシンボリ牧場の故・和田共弘氏が目指したものも、本質的には同じ方向性だった。ただ理念を実行に移す上での前提条件が変わり、現在はそのぶん自由度が増しているのだ。

 仮に充実した施設が東西トレセンにしかなく、入厩義務期間が長く、さらに獣医技術がいまほど進んでいなかったとしよう。そうなるとトレセンに置く期間は長くなるし、馬の状態を確認するためにもステップレースに使いたいということになる。そのステップにおいては昔の表現でいう「八分の仕上げ」で臨むことになる。

 それと同じ条件下でなかなかトレセンに来なかった馬、ステップレースを使わなかった馬は「来られなかった馬」「使えなかった馬」なわけで、そのぶっつけ緒戦が不安視されるのは当然だ。

 ただここまでの話を読めば分かるように、現実の平成31年・令和元年に競馬に行く馬は別な前提条件下で生きている。「ぶっつけ」の不安はフィジカル面においては圧倒的に軽減されている(メンタル面ではマイナスも多少あるかもしれない)。逆に考えると「使われた上積み」を期待できないケースも増えているはずだ。

 かつての休養馬は休まざるをえなかった馬かいったん楽をさせた馬なので、レース間隔をそのままファンにとってのリスクと受けとめればよかった。同じ理由で休んだ馬については今も変わらぬ面がある。しかし、戦略としてぶっつけを選んだ結果レース間隔が開いたという話なら、飼養者にもよるがこれはもはやリスクではない。

 ファンから見てかつての常識が変わることや予想の流儀が通用しなくなることは、ある種のストレスだろう。そういう意味では仕上げのあり方が変わることは、番組設計が変わることにも似ている。しかも最近は変化のスピードが速い。

 ただ馬券を買い続けるならば、時代の変化に付いていくしかないし、そのためにはどんな変化が起きているのかを理解する必要がある。そのきっかけとしてグランアレグリアとサートゥルナーリアは大きな役割を果たしたようにも思う。