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▲ダノンプレミアムを支えるプロの技術とは?(撮影:高橋正和)


9カ月半ぶりながら金鯱賞で勝利を収めたダノンプレミアム。ちょうど1年前、皐月賞を目前に挫跖してからの詳しい状況については以前、猿橋照彦調教助手に詳しくお話いただきました。そこから見えてきたのは、ダノンプレミアムのチーム力。金鯱賞のレース後に川田将雅騎手が「スタッフ全員でこの時を待っていました」と話したように、中内田充正調教師を始めとする厩舎スタッフに加え、装蹄師や獣医師との細やかな連携によって金鯱賞での復活劇は果たされました。

 今回は、普段はあまり表舞台に出ることのない装蹄師と獣医師にダノンプレミアムとどのように関わってきたのかを詳しく語っていただきました。まずは装蹄を担当する長谷川孝文装蹄師。蹄のプロが「初めて経験した」と驚く出来事とは。

(取材・構成:大恵陽子)

長谷川孝文装蹄師インタビュー

走る馬だからこその悩み…


――金鯱賞での勝利、おめでとうございました。長期休養明けであの強さには鳥肌が立ちました。

長谷川孝文装蹄師(以下、長谷川装蹄師) ありがとうございます。調教に騎乗している猿橋調教助手から「大丈夫」と聞いていましたし、僕自身もいい状態だと思っていましたが、長期休養明けで半信半疑な部分もないこともなかったです。勝ってくれて、言葉が出ないというか、感動しました。

――改めて、蹄のプロである装蹄師から皐月賞前に挫跖した時の状態について教えていただけますか?

長谷川装蹄師 朝、馬房でツメを浮かしたり、負重するのを嫌がっている状態でした。それで、いろいろと原因を探ったんですけど、最初は「ここ」って場所が分からず、あとになってだんだん蹄尖(せんてい)部というツメの先に痛みがあると判明しました。そこに膿が溜まるんですけど、排膿するのが遅くなったんですよね。それでちょっと重症化してしまいました。抜けてからも良くはなっていったんですけど、普通の馬よりは良化がゆっくりでした。

――挫跖の原因というのは?

長谷川装蹄師 挫跖ってツメの中で内出血が起きるんです。石を踏んだり、蹄鉄がズレてアクシデントが起きたり、後ろ脚でぶつけても起こります。プレミアムは厩舎もいろいろ原因を探って、場所からもおそらく追突(後ろ脚を前脚の蹄にぶつけること)かな、と。でも正直、原因は分からないんです。ただ、追突だろうと厩舎も僕も想像して、乗る時には脚あてなどで保護をしています。

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▲ダノンプレミアムはこのように脚あてをしている


――後ろ脚で前脚を蹴ってしまうということは、それだけ後ろ脚の入りが大きいんでしょうか? その昔、三冠馬シンザンは飛びが大きくて前脚と後ろ脚の蹄がぶつかるため「シンザン鉄」が開発されました。

長谷川装蹄師 後ろ脚の入りが強いんでしょう。ダイナミックなフォームで、トモがすごく入ってくる馬なので、それで追突したのかもしれません。挫跖って一言で言っても本当にいろいろで、すぐに痛がる馬もいれば、あとからじわじわくる馬もいるんです。

 シンザン鉄は今は使っている馬はいないと思います。当時はそれが最善の処置でしたし、すごい技術ですが、いまはエクイロックスなどで保護することができます。

――仮に後ろ脚が追突したのだとすれば、それだけ筋肉や関節の柔軟性があったり、踏み込む筋肉が強いと考えていいのでしょうか?

長谷川装蹄師 それに加えて、元々ツメが弱い馬でした。ツメが弱い馬自体はたくさんいるんですが、スピードのある馬はさらにリスクがかかります。トレセンでの調教負荷は大きいですし、調教以上にレースでツメにかかる負担は大きいです。走る馬ってどうしてもツメが悪くなるのかな、と感じますね。

――勝手なイメージですが、芝馬って蹄が薄そうだな、と思います。

長谷川装蹄師 僕もトレセンに入った頃はそういうイメージだったんですが、日本の馬ってどんどん変わってきているんですよね。一見、丈夫そうに見えますが、ダートで活躍する馬もすごく薄いんです。芝よりもダートの衝撃の方がツメに堪える分、どちらかと言えばダート馬の方が装蹄は難しいかもしれません。

スタッフ全員のチームワークが導いた復活劇


――膿が抜けた時は、みなさん喜んだんじゃないですか?

長谷川装蹄師 そりゃもう安心しましたし、良くなる一方でした。

――皐月賞は残念ながら回避することになりましたが、日本ダービーには出走でき、6着でした。

長谷川装蹄師 ダービーには僕も行っていたんですが、あれだけのパフォーマンスをしました。レース後、ツメのダメージも少なくて、北海道に休養に出ました。調教師が牧場に見に行った時にはツメの写真を送ってくれて、それを見る限りは「順調やな」って思っていました。「このままいったら傷めた場所も下に降りてきて」と、誰もが思うんですけど、そうじゃなかったんです。

――詳しく教えてください。

長谷川装蹄師 昨年の9月に栗東に帰ってきて、当初は違和感はありませんでした。それが、調教を進めていくうちに乗っていて違和感が出てきたんです。

 ツメが伸びていくと、傷めた部分の死んだ角質が下に降りてきます。これまでの経験では、下がってきた部分は悪さをしないんですよね。歩様とかにも出ません。でも、プレミアムの場合は結果的に範囲が広くて、着地した時に蹄でクルッと掻く部分、蹄尖部が壊死した状態なわけです。恐らく、プレミアムはすごくデリケートなので、何かしらの違和感を持っていたと思います。乗っている猿橋助手の話を聞いている感じでは、「恐らくそれかな」と。調教師と話して、「放牧に出しましょう。一度ツメを伸ばしましょう」と言いました。それを受け入れてくれて、装蹄師としてはすごく助かりましたね。自分の思いを隠さずに言える先生です。しっかりコミュニケーションが取れたことが大きいなって思います。

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▲蹄の部位


――お互いにそれぞれのプロとして尊重し合っているからなんでしょうね。

長谷川装蹄師 本当にその通りです。

――傷めた部分が蹄の先っぽに降りてきたことで違和感が出た、と。だから5月の日本ダービーや9月の帰厩直後はまだツメがそこまで伸びていなくて、何もなかったんですね。

長谷川装蹄師 そういうことなんです。本当に珍しくて、僕も初めての経験でした。エクイロックスでその部分を保護して、支えを作ってあげよう、っていう方法は普通に考えることなんですけど、それでもダメでした。秋は信楽牧場で休養して、僕もその間、ずっと装蹄していました。やることと言っても、釘を打たずに接着装蹄をすることくらいで、あとはツメが伸びるのを待つだけでした。

――ただ待つだけというのは辛いことでもあると思います。

長谷川装蹄師 牧場のスタッフもすごいがんばってくれて、本当にみんなの力ですよね。僕は装蹄をするだけなんですが、待っている方は馬主さんをはじめいっぱいいると思うんですよ。調教師に感謝しています。「放牧に出そう」と意見が一致したのがやっぱり大きいですよね。

――ツメが伸びるのを待って、昨年末にふたたび栗東トレセンに帰ってきました。その時に改めてダノンプレミアムを見てどう感じられましたか?

長谷川装蹄師 乗り手の感覚、調教師の感覚、いろいろ話を聞きながらずっとやっていますが、「これだったらレースに向けていけるな」って思いました。

――何か特別なケアはしましたか?

長谷川装蹄師 ツメが柔らかくなりすぎないケアをしました。ほとんどの馬が保湿のために蹄油(ていゆ)を塗るんですけど、塗り過ぎるとツメが柔らかくなりすぎます。プレミアムは塗り過ぎたわけじゃないんですけど、ツメが柔らかくならないようにケアをしようと話しました。柔らかくなると強度が落ちるんです。でも一方で、硬くなりすぎて乾燥すると割れて裂蹄になります。厩舎も厩務員さんも、ツメのケアをすごくがんばってくれました。だから、ツメの状態はすごい良かったですし、今もいいです。

――金鯱賞を優勝後、川田将雅騎手がインタビューで「スタッフ全員でこの時を待っていました」とおっしゃったのがとても印象的でした。

長谷川装蹄師 1人じゃできないですからね。チームワークが発揮されたのかなって思います。獣医師の田中先生も本当によく診てくださって意見交換をしたり、とても助かりました。本当に素晴らしい獣医師さんです。

――さて、次走は今週末のマイラーズC、そして春は安田記念を目指すことが発表されました。現状を教えてください。

長谷川装蹄師 直近で装蹄したのは2週間前で、来週(レース当週)にまた装蹄を予定しています。装蹄する時以外でも状態チェックはしていて、一昨日(4月10日)、洗い場でチェックしました。何も心配ないなって思いました。暖かくなってきて、ツメの伸びもよくなっています。1回レースに使ったことで馬の状態はすごく上がったと感じます。

――この春は楽しみが持てますね。

長谷川装蹄師 もちろん楽しみです。ただ、「まずは無事に」と願います。それはすべての馬もみんな一緒で、その馬への想いって関わる人みんなありますからね。

――最後に、装蹄師の立場からファンに「ここを見てほしい」というポイントを教えてください。

長谷川装蹄師 うーん、、、パドックで見てほしいのは、馬の表情と体です。別に、ツメを見た方がいいっていうのは特にありません。僕、装蹄中に表情をよく見るんですが、やっぱり表情ってすごく大事やと思います。
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▲「4人のチーム体制で装蹄しています」と長谷川孝文装蹄師(左から2番目)



田中智治獣医師インタビュー

数百、数千頭と競走馬を触り重ねて…


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▲ダノンプレミアムを支えるプロの技術とは?(撮影:高橋正和)


続いては田中智治獣医師。獣医師の立場からはどのような方法を通じて「いい馬だな」と感じるのでしょうか。プロの流儀から見えてくるダノンプレミアムの凄さとは。
(取材・構成:大恵陽子)

――長谷川孝文装蹄師へのインタビューや金鯱賞前の猿橋調教助手インタビューでお二人とも「獣医師の田中先生と話し合いながら」とおっしゃっていましたが、獣医師としてどのようにダノンプレミアムに関わられたのでしょうか?

田中智治獣医師(以下、田中獣医師) 装蹄師と獣医師が普段から連携を取ることってそんなにないんですが、馬の脚元のことを一緒に検討できる装蹄師が何人かいて、そのうちの1人が長谷川くんです。ツメのことで気になることがあれば、「長谷川くんだったら、この状態の時はどうする?」と聞きます。そういう間柄だったのも、たまたま良かったですね。でも、ダノンプレミアムに関して獣医師として苦労したなってことは正直、ほとんどなくて、長谷川くんが一生懸命やってくれました。

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▲田中智治獣医師


――昨春は挫跖の影響で皐月賞を回避しましたが、獣医師の立場からはどう感じていらっしゃいましたか?

田中獣医師 ともすればヒトの欲目が出てしまいそうな場面で、スパッと決められたことは結果的にプレミアムにとってすごく良かったと思います。一般的に挫跖は蹄底(ていてい)に炎症を起こすんですが、ダノンプレミアムの場合は蹄冠部から蹄尖部までの間、蹄壁の上の方をぶつけていました。どちらかと言えば蹄皮炎(ていひえん)と言った方がいいかもしれません。

 そういう状態で獣医師は、早く調教復帰できるようにするにはどう持っていったらいいかを考えないといけませんし、1肢のツメを傷めたことで体の他の部位に影響が出ないようにしなければいけないなと思いました。

――9月に帰厩直後は問題なかったツメですが、伸びてくることによって違和感が生じたんですよね?

田中獣医師 夏に休養中にツメが伸びて、傷めて死んだような状態の部分が下に降りていきました。歩くくらいならツメの蹄尖部に掛かる反回する力があまりかからないので平気なんですが、競馬のスピードになるとその力が増すので、傷んだツメの部分がめくり上がるような力が加わります。それは場合によっては痛みに繋がることもあるでしょう。中内田くんも、乗っている猿橋くんも違和感を感じたので、休養してツメを伸ばすことになりました。乗り続けていれば体幹のバランスが崩れたり、腰を痛めることもあり得たかもしれませんが、その時点で休養したので馬体にはそんなに弊害は出ませんでした。

――チームの一員としてダノンプレミアムに関わっている田中獣医師ですが、普段の仕事で心がけているのはどんなことですか?

田中獣医師 獣医師と言っても、一番大切なことはよく観察することです。治療すべきか否か、助言ですむ状況なのかの判断が大事なことだと思います。治療で脚が速くなることはありません。バランスを崩したり、筋肉痛を起こしたりすると、お薬を使って治療しますし、特殊な理学療法の機械を使って治療することもありますが、それをしたからといってその馬がステップアップするわけではないんですよね。元々持っている能力を出しやすいように助けるだけです。サポーターとして、競馬に向けて働いているスタッフさんが「よし、明日はこう調教しよう」と確信が持てる助言ができればいいのかな、と思います。

――獣医師の立場から感じる「馬体の良さ」とはどういう点ですか?

田中獣医師 長く競走馬を触っていると、厩舎や担当者、調教に乗っている人によって馬体のバランスが変わるのを感じます。中内田くんの厩舎は、よく乗りこまれている感じが馬体に表れるのと、騎乗者の変な癖があまり出なくて、いい厩舎だなぁと感じます。

――馬房で獣医師が背中やトモなどを触っている場面を見たことがあります。そうして筋肉の張り具合などを診ていらっしゃるんですね。

田中獣医師 やり方は獣医師によって様々ですが、僕は週に1〜2回、そうして馬体を触って、コメントを求められます。

 僕たち獣医師って、大学では病気の勉強ばかりしてくるんですが、トレセンにいる馬はほとんどが健康なんですよね。新人の頃は「先生、俺の馬どう?」と聞かれても、「健康ですけど!?」としか言えませんでした(苦笑)。レースを目指すアスリートのような競走馬たちの馬体がどの程度の段階・状況にあるのかを診ぬけなかったんですね。だからひたすらいい馬も悪い馬も数百、数千頭と触り重ねて「この状態だったら、このくらいの調教までならいける」というのを掴んでいきました。

 3年もすると、獣医師としてやらないといけないスキルはそれなりにできるようになるんですが、そうすると5年目くらいまでが一番怖いんです。「もう競走馬のこと分かった!」って思ってしまうんです。競走馬に起こりがちな統計的な、いわば分かりやすい情報に照らして馬を診てしまうんですね。でも、ごくたまに珍しいケースに遭遇して、「先入観を持たずに診なきゃいけないな」って気が引き締まりました。

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▲「先入観を持たずに診なきゃいけないな」って気が引き締まりました


「こんなに面白い仕事はない」と思います


――動物病院とはまた違ったやりがいがトレセンにはあるんですね。そうした経験を積んできた中で、ダノンプレミアムってどんな馬ですか?

田中獣医師 バネがあって、勝ち気な性質ですね。毎日数十頭の馬を診る中で、体幹と脚の先まで使って弾むようにダク(速歩)を踏める馬は「走りそうだな」と感じます。中内田厩舎の調教を重ねれば重ねるほど、ダノンプレミアムは筋肉がパンプアップしたみたいに膨れていきます。年々、大きな体をした競走馬が増えていて、そういう馬は大きすぎるからか筋肉が上手に乗っていかない馬も多いんですが、ダノンプレミアムは割と大きな骨格をしていてもちゃんと使える筋肉をまとっています。

 あとは勝ち気な気性が競馬でもプラスなんだろうなって思います。「俺に近づくな」っていうようなところがあります。獣医師としてはちょっと嫌なんですけどね(笑)。

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▲勝ち気な気性が競馬でもプラスに(撮影:高橋正和)


――注射を打つ時にもそうだと、獣医さんは大変かもしれないですね。

田中獣医師 でも、叱ると我慢してくれます。逆に、怖くてパニックになってしまうような馬の場合は、恐怖心に駆られて興奮すると、鉄柱だろうがなんだろうが骨が折れるまで蹴ってしまう馬もいるので、そういう馬には「今から注射を打つぞ!」って雰囲気を出さないように、担当者さんとわざと談笑しながら打つこともあります。

――さて、金鯱賞では長期休養明けながら快勝でしたが、レース前後のダノンプレミアムを診られて、どんな印象を受けましたか?

田中獣医師 僕はレースで勝てるかどうかではなくて、体を診ている仕事という前提なのですが、金鯱賞前は以前の体と比べたらまだぼやっとしていました。中内田くんにも「まだこの馬らしさはないけど、無駄なものはないしバランスも悪くないですね」と話していました。それで勝ちましたから、「強いな!」って思いましたね。そして、今日(4月12日)、プレミアムを診て、「以前のプレミアムに戻ったな」と感じました。筋肉も膨れて見せますし、僕が近づくと「近づくな」って格好をしてきます。

 トレセンでの仕事は、「こんなに面白い仕事はない」と思います。一生懸命な人たちが毎週、競走馬たちをレースで活躍させることを願って働いています。基本的にみんなポジティブなエネルギーで仕事をしています。それに寄り添うのって、楽しいことですよ。

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