アパパネの主戦騎手を務めていた蛯名正義騎手

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▲アパパネの主戦・蛯名正義騎手が、三冠牝馬の生き物らしさを語ります


競馬はギャンブルかスポーツか、それは競馬の永遠のテーマ。しかし、主役の競走馬が生き物であるという点で、ほかのギャンブルとは一線を画します。

「馬が走りたくない時ってあるの?」
「ゲート、なんで出遅れるの?」

この企画は、現役騎手や厩舎関係者がファンの疑問に答えながら、愛すべき競走馬たちの素顔を語る短期集中連載です。

最終回は「同じ馬でも、相手が変わると態度が違うのか?」を検証します。三冠牝馬のアパパネは、主戦の蛯名騎手と担当の福田助手それぞれにどんな態度だったのか? 見えてきたのは「三冠馬らしいこだわり」と「三冠馬らしからぬオフの顔」でした。

(取材・文=赤見千尋)




馬が人間の気持ちを汲み取ったことで獲れた三冠


――アパパネといえば牝馬三冠の偉業を成し遂げた名牝ですが、性格はどんな感じだったんですか?

蛯名 とにかく大人しくて優等生でした。たくさんの牝馬に乗せていただきましたが、ここまで素直に言うことを聞いて走ってくれるというのはなかなかないです。

 特に女の子は難しいというか、我が強いことも競走馬としての強さの一つなんですけど、アパパネに関してはそういう部分がほとんどなくて。よく顔を撫でたりしたんですけど、絶対噛んだりしないし、本当に人懐こくて可愛かったです。

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▲2010年の秋華賞を勝利、史上3頭目の牝馬三冠を達成 (C)netkeiba.com


――苦労した部分、気をつけていた部分はありますか?

蛯名 大人しくて乗りやすいですけど、お母さんのソルティビッドがスプリンターですし、レースに行ってすごく真面目だったので、前半に行きすぎないようにということは注意していました。とにかく真面目で一生懸命過ぎてしまうので、レースでも調教でもなだめてあげることが中心でしたね。

『真面目である』というのは競走馬にとって大きな能力の一つで、人間の性格と同じでなかなか変えられない部分です。アパパネは身体的にも高い能力の持ち主ですが、同世代の中で能力がずば抜けているから三冠を獲れたというよりは、みんなでこうしよう、ああしようと努力したことを馬が汲み取ってくれて、それで獲れた三冠だという印象が僕の中にはありますね。

――馬が人間の気持ちを汲み取ったというのは、どんな時に感じましたか?

蛯名 一番はオークスです。さっきも言ったようにお母さんはスプリンターで、体型的にもマイルが合いそうな体でした。そこからいかにスタミナを奪われないようにスリムアップするか、2400mをこなせる長距離仕様にするかということが課題でしたが、騎乗してみて、上から見てもシャープになっていたし、レースもいつもより楽に収まりました。

 あの同着がなければ三冠は獲れていないので、本当に奇跡的なことだったと感じますね。

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▲サンテミリオンとの同着でオークス勝利、長距離仕様の体に自ら変化させたという (撮影:下野雄規)


――そんなに変われるものなのでしょうか?

蛯名 普通は難しいですよ。人間がいろいろ考えてやってみても、そうそう上手くはいかない。でもアパパネはこちらの意図を汲み取ってくれて、それに応えてくれる。ものすごくいい子なんでしょうね。言葉が話せる人間同士でも、こちらの言うことをそのまま聞いてくれる女性はなかなかいないですよね(笑)。

「無理強いされたら女の人はイヤでしょう?」


――そんな優等生のアパパネが、感情を見せる時はあったのでしょうか?

蛯名 唯一、我を出したのがゲート入りの時です。最初にやったのがジュベナイルフィリーズの時。ゲート入りを嫌がったことは一度もなかったのに、大外枠で一番最後入れだったのですが、なかなか入らなくて。1番人気でしたし、見ていた方はハラハラしたのではないでしょうか。

 その後のレースでは先入れをするようになったのですが、必ず一度止まるんです。ゴネるというよりは儀式みたいな感じで、1回止まって主張する、一応抵抗してみるという感じなのかな。

――その時、蛯名騎手はどう対応したんですか?

蛯名 一度ゴネるだけですぐに入るし、ゲートの中で悪さをするわけでもなく、開けばトップスタートを切っていきますから、怒るということはしなかったです。

「入ろうよ」という感じで促しはしましたけど、『大丈夫、入るから』っていう感じでした。自分の中でタイミングというか、こだわりがあったんだと思います。そういう時、無理強いされたら女の人はイヤでしょう?

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▲(C)トマス中田 バディプロダクション所属


――絶対イヤですね。逆にそこを理解してもらえたら、機嫌よく運べます(笑)。

蛯名 新馬戦からずっと乗せてもらいましたが、結局アパパネに対して怒ったことは一度もないんじゃないかな。本当に悪いことをしないし、教えればわかってくれるので、怒る場面がなかったですから。

――マイナス要素はまったくなかったのでしょうか?

蛯名 マイナス要素ではないですけど、引退する頃の気持ちの変化というのは感じましたね。人に対してすごく従順だったけれど、ブレない強さを持っていた馬で、そこがだんだん薄れて来たというか。

 これは他の馬でもそうですし、女の子は特にそういうところがあるのですが、競走馬として頑張るというよりも、お母さんになる準備を整えているのかなと。

――どういう部分で感じましたか?

蛯名 常に一生懸命なところは変わらなかったですけど、やっぱりレースに行っての前向きさとか、気持ちの強さとかが変化したように思いました。

 デビューした時はまだ体が出来ていなかったし、ここまで注目される馬ではなかったんですよ。その頃からずっと、いい時もそうじゃない時もコンビを組ませてもらったので、微妙な変化も感じ取ることができたと思います。

――アパパネはどんな存在ですか?

蛯名 本当にたくさんの経験をさせてもらいました。気持ちの強さというのは持ち合わせていたけれど、人を立てられるというか、人の指示を聞ける。そして、チーム一丸となって考えながら作って行ったことは僕の財産になったし、これまで自分が考えてやってきたことは間違ってなかったんだなという自信にもなりました。

 アパパネがここまで人の言うことを聞けたのは、性格もありますが、信頼関係も大きかったのかなと。担当の福田くんの存在も大きいし、牧場の方々が教えてきたことも大きかったと思います。僕は追い切りと競馬の部分しか知らないけれど、福田くんにはまた違う一面を見せているかもしれませんね。

当時アパパネを担当されていた福田好訓助手

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▲オークス優勝時のアパパネと福田助手 (撮影:下野雄規)


獣医さんはみんな噛まれた(苦笑)


――蛯名騎手のお話では、アパパネは優等生でまったく怒る場面がなかったと仰っていましたが、福田さんはいかがですか?

福田 毎日接していても、特に怒るところはなかったですね。基本的に人間が好きで、すごく懐こかったですから。ただ、ダメな人もいましたよ。獣医さんと装蹄師さんは好きじゃなかったみたいで。

 特に獣医さんですね。痛いところを触られたりするからなのかもしれませんが、獣医さんはみんな噛まれたと思います(苦笑)。僕も注意して持っているんですけど、僕のところには絶対に来なくて、クビを回して獣医さんを噛みに行くんです。獣医さん側から見たら優等生ではないと思いますよ。

――アパパネの現役時代、福田さんとアパパネがじゃれ合っていると、人間のカップルみたいで微笑ましかったです。

福田 3歳の春頃までは、本当にものすごく懐こかったんですよ。放牧に出ないでずっとトレセンにいましたし、栗東滞在中は1対1のようになっていたので、余計そういう感じだったのかもしれません。

 でもだんだん大人になって、3歳の秋くらいからかな、そこまで甘えてこなくなりました。僕に甘えるよりも、グーグー寝ていることが多くなりましたから(笑)。

――それは親離れなんですかね?

福田 どうなんでしょう。僕は淋しかったですけど(笑)。アパパネは放牧に出ないで長期間トレセンで調整を続けたのですが、ずっとトレセンにいるというのはいい面もあるけれど、気持ちのオンオフを作る上では難しい環境だと思うんです。

 本来トレセンに来たら競馬が近いぞと感じて馬も戦闘モードに入って、牧場に行くとのんびりする、という形になるわけで、特に女の子はトレセンに来るとカイバを食べなくなる子もいますから。でもアパパネは本当に切り替えが上手でしたね。

――どういう風に気持ちを切り替えていたんでしょうか?

福田 とにかくよく寝る子でした。ご飯を食べたら大の字になって寝てましたから(笑)。競走馬は草食動物なので、人の気配や物音がすると起きて立ち上がる馬が多いんですけど、アパパネはマスコミの人が取材に来てもグーグー寝てましたし、(朝)調教しようと思ってもなかなか起きないこともあって(笑)。

 それに、どんな場所でもすぐに慣れてリラックスしてました。僕はいろいろな馬で栗東滞在の経験をさせていただきましたが、特に女の子は初めての環境になるとカイバを食べなくなる子が多い。でもアパパネはすぐに慣れて、もりもり食べていましたね。

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▲(C)トマス中田 バディプロダクション所属


アパパネが唯一ご飯を残したとき…


――よく寝て、よく食べる馬だったんですね。

福田 食べられるというのも大きな才能です。しかも、強い調教になればなるほど、燕麦など濃厚飼料の方を食べてくれたんですよ。燕麦というのは人間の食事に例えるならばお肉などですね。

 普段は太り過ぎないよう、栄養もあって嗜好性もいい配合飼料を中心にあげていたんですけど、追い切りを重ねていくと「こんなんじゃダメ! もっと栄養あるものを」って感じで燕麦ばかり食べるんです。普通調教を重ねると内臓が疲れて行って、燕麦を食べたくなくなる馬も多いんですけど、どんどん肉食女子になっていきました(笑)。

――肉食女子(笑)。体が欲していたんでしょうね。

福田 そうなんだと思います。でも、そんなアパパネが唯一ご飯を残したのがオークス前でした。調教量が増えてさすがに疲れたのか、それとも長距離仕様に自分で調整していたのか、馬に聞いてみないとわからないですけど。

――蛯名騎手のお話の中で、オークスの時に長距離仕様に変化した姿を見て、人間の意図を汲み取れるすごい馬だなと感心したと仰っていました。

福田 そこは本当にすごいですよね。騎乗していても、自由自在に動いてくれるんです。「俺、上手いんじゃないか」って錯覚するくらい(笑)。毎日乗るのが楽しみでしょうがなかったです。

 女の子は食べさせるのに苦労することが多いですけど、アパパネの場合は逆に絞ることが大変でした。調教量はかなり多くて、牡馬も含めてこれまでの国枝厩舎所属馬の中で、ここまで乗った馬はいないのではと思うほどです。たくさん調教してたくさん食べてくれました。とにかく体力がありましたね。

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▲国枝厩舎の砂浴び場で寝ているアパパネ (提供:福田助手)


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▲この通り…爆睡です! (提供:福田助手)


――福田さんにとってはどんな存在ですか?

 ずっと一緒にいましたし、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。ただ、いきなりアパパネを担当したのではなく、その前にたくさんの馬たちで栗東滞在したり、経験を積んだあとだったからこそ上手くいったと思います。アパパネと、これまで担当した馬たちに感謝しています。

――アーモンドアイの担当である根岸さんは、一時期アパパネを担当したこともあるそうですね。

 僕がマイネルキッツの天皇賞に向けて、栗東に行った時です。桜花賞が終わってから2週間くらいですね。アパパネや他の馬たちの経験があって、今度はアーモンドアイですから。どう繋がっていくのか僕もすごく楽しみです。

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▲現在はアーモンドアイを管理する国枝厩舎、アパパネの経験が脈々と受け継がれている



【イラスト作者プロフィール】
トマス中田
バディプロダクション所属
兵庫県姫路市出身/昭和生まれ