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▲矢作調教師との対談の第2回目、今改めて明かすスーパーホーネットとの秘話


矢作芳人調教師をゲストにお迎えしての対談。矢作調教師と佑介騎手といえばやはり、スーパーホーネットを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。コンビで戦い抜いた19戦、その中にはGI2着が3度。聞こえてくるのは「なんで替えないんだ」という雑音。その時、矢作調教師の心中はどうだったのでしょうか。

(取材・文=不破由妃子)


いつまで経ってもあの馬が矢作厩舎の“基礎”


──矢作先生は、開業直後からデビュー2年目の佑介さんを重用されていますが、当時の佑介さんにはどんな印象がありますか?

矢作 とにかく競馬に対してめちゃくちゃ真面目だったよね、佑介は。もちろん、今でもそれは変わらない。自分が不真面目な人間だから、そういうところが好きでね。巧くなりたいという意識がちゃんと伝わってきた。

──2007年の大阪城Sでスーパーホーネットに初騎乗(4番人気1着)。そこから引退レースとなった2010年の天皇賞(秋)まで、一度も乗り替わることなく19戦を戦い抜いたわけですが、やはり乗り替わりについては先生のなかにも葛藤があったのですか?

矢作 いや、乗せ替える気は一切なかったよ。

佑介 以前、僕が同じことをお聞きしたときも、そうおっしゃってましたよね。

矢作 うん。ただ、「なんで替えないんだ」という雑音は相当あったけどね。まぁそこが俺の甘さなのかもしれないけど、正直、俺のなかに乗せ替える理由がなかったから。

 替えるときって、大体が乗り方に不満があって替えるわけでしょ? それがなかったんだよね、意外と。さっきホーネットでGI2着が4回ある(うち、佑介騎手騎乗は3回)って話していたけど、負けるべくして負けたレースばかりだったと思うから。

佑介 ダイワメジャーの2着だったマイルCS(2007年)は、ホーネット史上ベストレースだと思う反面、どこまでいっても勝てなかったと思うんですよね。ただ、ブルーメンブラットのときは…(2008年マイルCS)。GIを勝つならあのときだったといまだに思います。

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▲ダイワメジャーの2着だった2007年のマイルCS (C)netkeiba.com


矢作 結果的に、枠の差で負けたレースだったよな。能力的には横綱相撲で勝てると思っていたけど。

佑介 僕もそう思っていました。

矢作 今思い返してみても、あの馬には本当に苦労した。飼い葉を食べないもんだから、体が減っちゃってね。女の子みたいに繊細だった。あの頃、美浦に滞在した調教師なんて、俺だけでしょ。

佑介 安田記念のときですよね?

矢作 うん。どうしてもこっち(栗東)から直接輸送したくなくて。まぁ苦労はしたけど、いつまで経ってもあの馬が矢作厩舎の“基礎”であることは変わらない。財産だよね。

佑介 僕もあれだけの馬に足掛け3年乗せていただきましたからね。しかも、一番変化の大きい4歳の春からで、実際にみるみる乗り味が変わっていきました。そういう経験は、ジョッキーにとっても財産以外の何ものでもありません。自信をくれたのも、自信を失ったのもあの馬ですし。

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▲佑介騎手「自信をくれたのも、自信を失ったのもあの馬」


矢作 1頭の馬との出会いが、ジョッキーの人生を変えるのは間違いないからね。

「今の佑介では、これ以上乗せられない」と


佑介 本当にそうですよね。ホーネットが引退した年(2010年)あたりから、僕自身の競馬に陰りが出てきて、成績が落ちていく流れにあったんです。ただ、僕がそういう状況にあっても、ホーネットはいいところで頑張ってくれたから、それでちょっと保っているようなところがあって。だから、ホーネットがいなくなって、ガーッと一気に落ちたっていうのはあるかもしれません。

矢作 一気に落ちたっていうのは2011年?

佑介 そうですね。そこから2年くらいは、成績がよかった頃の流れで乗せてもらっていただけだと思います。先生は覚えていらっしゃらないかもしれませんけど、2011年なんて、矢作厩舎での初勝利が12月24日ですからね(阪神12R・トシギャングスター)。

 ホーネットが引退してからもほぼ主戦級の扱いをしていただいていたのに、とにかくその1年はまったく勝てなくて。だから、12月24日は家に帰ってから一人で泣きましたもん。あの年は苦しかったです、ホントに。

矢作 そうだったんだ。知らなかったよ。でもなんで? 別に腐っていたわけではないでしょ?

佑介 腐ってはいませんでしたけど、競馬自体が全然ダメで…。嫌なイメージばかりが湧いてしまった時期でしたね。勝てる馬に乗せてもらっているという自覚はあったので、とにかく「勝たなければいけない」という気持ちばかりか先立って。「今、勝たなければ。今、結果を出さなければダメになる」と思っていました。

矢作 そうかぁ。確かに流れが悪いなとは思っていたけどな。それに、そういうときってギャンブルと同じでさ、その悪い流れをいかに短期間で切り抜けるかが大事だと思うんだけど、ちょっと悪い流れが長引いているなっていう気はしてた。

佑介 結局、その悪い流れを断ち切りたくてフランスに行ったわけですけど、フランス行きを報告したときの先生の第一声は、「おせーよ! もっと早く行けよッ!」でしたよね(笑)。

矢作 だって「やっとか!」と思ってさ。俺からすれば、早く台を替えろよと(笑)。

佑介 矢作先生は、悪い流れが続いていたときでも、それまでと変わらずにたくさん乗せてくださいましたよね。いつも気に掛けてくれて、ずっと応援し続けてくださった。本当に心強かったです。

 そんななかで一度だけ、「スタッフからも『今の佑介では、これ以上乗せられない』と言われているから、今回結果を出さなければ今後は乗せられないから」と言われたことがありました。

矢作 ああ、ガンジスの新馬戦だったかな。それは覚えてる。

佑介 あのときは確か、助手の渋田さんが「この馬は絶対に勝てると思うから、佑介に最後のチャンスをあげてください」って先生に言ってくれたんですよね。勝ててホッとしたのをすごく覚えています。

矢作 佑介が俺に対して「応援し続けてくれた」という思いがあるのは、俺が佑介の競馬をずっと見ていたからだと思う。自信をなくしているように見えた時期でも、いい競馬をしたときには、たとえそれがウチの馬じゃなくても「いい競馬だったな」って声を掛けたりして。

 当然、すべての馬に佑介を乗せられるわけでもないし、20馬房くらいしか持っていなかった頃は、サポートするといってもたかがしれていた。だから、せめて気持ちの部分では応援したいという思いは、ずっと持ち続けていたからね。

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▲矢作師「気持ちの部分では応援したいという思いは、ずっと持ち続けていた」


(文中敬称略、次回へつづく)